若手奨励賞
日本物理学会では、将来の物理学をになう優秀な若手研究者の研究を奨励し、 日本物理学会をより活性化するために若手奨励賞を設けています。第14回日本物理学会若手奨励賞(領域11)
受賞者の発表
2019年6月の会告にしたがって,第14回日本物理学会若手奨励賞(領域11)の募集を行い,同年8月5日に締切りました.若手奨励賞領域11内規にしたがって設置された領域11の審査委員会による厳正な審査の結果,応募者の中から下記の4名の候補者が選考され,同年10月の物理学会理事会で受賞者として承認されました.ここでその受賞を祝福するとともに,領域11関係者に公示いたします.なお,対象論文などの情報については,物理学会の若手賞のWebサイトをご覧ください.
受賞者 | 受賞題目 |
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鹿野豊(慶應義塾大学 大学院理工学研究科) | 離散時間量子ウォークを用いた量子シミュレーションの理論の確立 |
関優也(産業技術総合研究所 ナノエレクトロニクス研究部門) | Non-stoquastic 演算子による量子アニーリングの高速化 |
西口大貴(東京大学 大学院理学系研究科物理学専攻) | アクティブマターの集団運動における秩序発現と普遍法則に関する実験 |
吉岡信行(東京大学 大学院理学系研究科物理学専攻) | ニューラルネットワークによる物理状態の分類と表現に関する理論的研究 |
審査経過報告
本年度の領域11の若手奨励賞は、期日までに応募のあった11名の応募者から厳正な審査を経て、以下の4名に決定した。
選考には領域代表及び領域副代表に指名された広範なバックグラウンドを持つ9名から構成された審査委員会が当たり、そのうちの1名が審査委員長を務め、議事のとりまとめを行った。尚、応募者が出身研究室の学生であったり、現在所属する研究室に在籍するものであったり、共同研究を行った経験のある審査委員は、利害関係者と見做し、その応募者の選考には原則として加わらない事によって選考の公正化を図った。一次審査では、各応募者に3名の査読者を付け、応募者の提出論文について、本賞に相応しいものであるかを評価書及び評点付きで報告して貰った。二次審査では、一次審査の報告を踏まえて利害関係者を除く審査委員全員のメール審議で、本賞に相応しいかどうかについて議論を行った。今回は、利害関係者は無く応募者全員を対象とする評点付きの評価を行い、基準を満たした応募者の中から上位4名を受賞者として推薦した。
今回は、前年度までの周知が良かったのか応募者が昨年度の4名から11名と著しく増加し、今年度は文字通り激戦となった。その結果本賞受賞の価値を今までと同様に高いところに留めることになった。またAIの物理学への応用や量子アニーリングの高速化といった新分野に果敢に挑戦し、一連の研究成果をあげるなど、領域11の次元を拡張する様な境界領域での研究成果での受賞対象もあり、こういった若手の挑戦の気風を保つ上でも本若手奨励賞の役割は重いと感じた。これら新分野に限らず選ばれた受賞者の対象論文は何れも若手奨励賞に相応しいものであり、選に漏れた応募者も含めて、今後の応募者の活躍と研究の進展が期待されるものばかりであった。今後も、本賞が高い価値を保ち続けるにはさらなる若手の積極的な応募を促す努力が必要不可欠である。
受賞理由
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鹿野豊氏:「離散時間量子ウォークを用いた量子シミュレーションの理論の確立」
Establishment of quantum simulation theory based on discrete-time quantum walk
量子ウォークは、最初原点付近に波動関数が集中していたものが、量子力学の時間発展の法則に従って次第にその周りに存在確率を広げていくような粒子の運動であり、確率的なルールに従って運動する古典的なランダムウォークの量子版ともいえるものである。量子ウォークに関する研究は比較的新しいといえるが、今世紀に入って活発となり、近年はその基本的な重要性から種々の物理的・数学的な性質が精力的に調べられると同時に、量子コンピュータへの応用などを視野に現実の系との関連も議論されるようになっている。
鹿野氏は、量子ウォークの基本的な性質や応用に関して、先駆的で重要な成果を挙げている。量子ウォークは、上記のように、当初から古典的なランダムウォークの量子版として考えらえていたが、実際にどのような状況において量子ウォークが古典的なランダムウォーク的な振る舞いを示すか明確に理解されていなかった。鹿野氏は、論文1において、離散時間量子ウォークの長時間極限における粒子の位置の分布が、観測ステップを時間に対してどのようにスケールするかを表すパラメータの値に応じて、異なった普遍的な性質を示すことを示し、古典的なランダムウォークとの関係を議論することに成功した。
論文2では、それまで空間的に一様な環境における量子ウォークの研究がほとんどであった中で、非一様なポテンシャル下における量子ウォークを考察し、一定の条件下において粒子の局在が起こることを示した。また時間発展演算子のスペクトルにホフスタッタバタフライの特徴が見られることを見出したが、これはトポロジカル量子ウォークの研究の発端の一つといえるものである。さらにこのモデルの解析に用いられた行列(演算子)はスペクトル理論との関連が見いだされ、その後の数学的な発展にも繋がった。鹿野氏は他にも量子ウォークの非線形版を導入してその異常拡散を議論する研究(論文3)なども行っている。
以上のように鹿野氏は、量子ウォークの分野において、標準的なモデルに対して基本的な性質を示し、本質的に新しい一般化(非一様版、非線形版)を導入して興味深い結果を得るという顕著な業績を挙げている。よって、氏は物理学会若手奨励賞に相応しい。 -
関優也氏: 「Non-stoquastic 演算子による量子アニーリングの高速化」
Acceleration of quantum annealing based on non-stoquastic operator
関氏は横磁場を使って量子アニーリングの性能を改善できることを示した。NP完全問題を含む種々の問題は一般には複雑な相互作用を含むイジング模型の基底状態の探索と書き換えられる。各イジングスピンは2状態しかとらず計算機に実装しやすいため、こうした問題をイジング模型として扱うと便利である。基底状態を探索する方法として有用な徐冷法(アニーリング法)が有用で、乱数をもちいた有限温度モンテカルロシミュレーションの温度0へのアニーリングは広く用いられている。一方、イジング模型をイジングスピンではなくハイゼンベルグスピン(量子力学的スピン)として扱い、基底状態が分かっている模型と基底状態が維持されるようにハミルトニアンを変形し、その過程を量子力学的な時間発展で追うことにより当該問題の基底状態を得るという量子アニーリングが関氏の共同研究者により提唱された。さらにそうした時間発展を実現する量子計算機の出現によりモンテカルロシミュレーションよりも効率の良い量子アニーリング法の開発も重要な課題となっている。
こうした中で、出発点のハミルトニアンとして横方向成分(対象問題を記述するイジングモデルを z 方向としたときの x 方向成分)が反強磁性相互作用をしている平均場ハミルトニアンと合わせて横磁場( x 方向の外部磁場)を加え、対象問題のハミルトニアンと連続変形することにより、モンテカルロアニーリングよりも効率の良い量子アニーリングが実現する可能性を指摘した申請者の業績は評価できる。
論文1でその方法を提唱し効率を評価した。その結果、p体強磁性イジング模型で有効であることを示した。論文2では極小エネルギー状態を多数持つk体一般化ホップフィールド模型に応用し、有効性を示した。スピングラスモデルなどのランダムスピン模型への量子アニーリングの可能性を拓いた。論文3では、イジング模型を拡張した2つのエネルギー準位に複数の状態が縮退している模型(Wajnflasz-Pick模型)への応用を解析し、量子アニーリングの性能を改善する方法を探った。その結果、量子アニーリングおよび断熱的量子計算の性能を制御できることを示した。
以上の成果は、実際の計算時間の評価や実装方法など今後の課題は残るものの、横磁場を使った量子アニーリングの限界を超える方法を具体的に提案したものとして高く評価できる。また量子ゆらぎ活用の今後の研究の指針を与えるものとしても評価できる。よって、氏は物理学会若手奨励賞に相応しい。 -
西口大貴氏:「アクティブマターの集団運動における秩序発現と普遍法則に関する実験」
Experimental studies on emergent orders and universal laws in collective motion of active matter systems
アクティブマターとは、生物や細胞の集団や自己駆動するコロイド粒子などの総称である。原理的に詳細つり合いを破る非平衡系であるため、凝集や集団運動など、非自明な多様な巨視的な現象を示す。現在、それらに通底する普遍法則を探る試みが爆発的に進んでいる。西口氏はそのような背景のもとで、アクティブマターの実験分野で、独立した3本の論文を発表した。まず論文1では、アクティブ乱流系に規則的に障害物を挿入すると、反強磁性的に規則正しく整列したvortex latticeが観測されることを示した。多くのアクティブマター系では、臨界揺らぎではない純粋に非平衡揺らぎに由来する長距離揺らぎと、それと競合する乱流状の大域構造が共存している。本論文では、柱状の不純物を規則正しく置くことで、後者の乱流を抑え、長距離相関による秩序構造の発達を明確に示した点が評価できる。論文2では自己駆動コロイドの代表格であるJanus粒子が、幅広いAC電場周波数と塩濃度により、鎖状構造をとり、運動する様子を観測した。そして、この鎖状構造はバクテリアの鞭毛と同様のむち打ち運動をする。西口氏はこの運動のスペクトルの自己駆動力依存性を実験により観測した。またその結果の理論的な考察も行っている。この結果は、系の単純さゆえに初めて導けたものであり、その意義は大きい。論文3では、Giant Number Fluctuations(GNF)と呼ばれる、方向自由度を持つアクティブマター中に普遍的に存在することが理論的に予言されている異常揺らぎを、世界で初めて明瞭に実験で示すことに成功した。GNFを探索する試みは、過去にもあったが凝集や相分離に伴う臨界揺らぎにマスクされて、純粋なGNFの観測は困難であった点を考慮すると、その意義は大きい。
以上、マクロスケールの非線形現象(論文1)、ミクロスケールの運動(論文2)、そしてメゾスケールでの揺らぎの異常(論文3)と、幅広い階層性のそれぞれにおいて、本質的な研究成果を挙げている。これらはよくデザインされた実験と緻密な解析、そして理論的な検証に支えられている。
よって、氏は物理学会若手奨励賞に相応しい。 -
吉岡信行氏:「ニューラルネットワークによる物理状態の分類と表現に関する理論的研究」
Theoretical study on the classification and description of physical states by means of neural networks
脳の働きを模すために提案されたニューラルネットワークは、多様な情報処理技術に革新をもたらした。物性物理学および統計力学の知識と有機的に結びつけることで、さらなる知のフロンティアの開拓が進むと期待されている。吉岡氏はニューラルネットワークによる物理状態の分類と記述に関して重要な貢献を果たした。論文1では、従来は難しかった乱れを持つトポロジカル絶縁体の相判定を、統計平均を活用することにより機械学習によって正確に行えることを示した。論文2では、任意の多体相互作用を持つ古典イジング模型に対し、等価なカノニカル分布を与えるボルツマン機械が存在することを示した。そして、この等価変換により得られたクラスタ更新アルゴリズムが計算上もメリットが大きいことを示した。論文3では、ニューラルネットワークを量子系の記述に拡張し、量子開放系の非平衡定常状態を求めることに成功した。吉岡氏は、自身の着眼点と独創性に基づいた研究によって基礎と応用の双方に本質的な進展をもたらし、該当分野に強いインパクトを与えている。
よって、氏は物理学会若手奨励賞に相応しい。
授賞式
第75回年次大会は新型コロナウイルス感染症の拡大のため現地開催中止となり、若手奨励賞授賞式は中止となりましたが、2020年3月16日付けで賞状は作成され、物理学会より受賞者に送付されました。また、2020年第75回年次大会特設webサイトにおいて発表資料(講演スライドファイルなど)を掲示することで記念講演の発表は成立したことになりました。しかし、実質的な記念講演の機会を失ったので、2021年3月14日、第76回年次大会での企画講演として、オンラインで上記4名の受賞者の講演が実施され、活発な議論が行われました。
日本物理学会 領域11