若手奨励賞
日本物理学会では、将来の物理学をになう優秀な若手研究者の研究を奨励し、 日本物理学会をより活性化するために若手奨励賞を設けています。第13回日本物理学会若手奨励賞(領域11)
受賞者の発表
2018年6月の会告にしたがって,第13回日本物理学会若手奨励賞(領域11)の募集を行い,同年7月30日に締切りました.若手奨励賞領域11内規にしたがって設置された領域11の審査委員会による厳正な審査の結果,応募者の中から下記の3名の候補者が選考され,同年10月の物理学会理事会で受賞者として承認されました.ここでその受賞を祝福するとともに,領域11関係者に公示いたします.なお,対象論文などの情報については,物理学会の若手賞のWebサイトをご覧ください.
受賞者 | 受賞題目 |
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岡田崇(理化学研究所, 数理創造プログラム) | 化学反応ネットワークのトポロジーに基づく緩衝構造の発見と生体内ネットワークへの応用 |
江端宏之(九州大学 先導物質化学研究所) | 生命・非生命系における自発的ダイナミックスの実験解析と現象論による解析 |
佐野友彦(立命館大学理工学部物理科学科) | 構造物のしなやかさに関する理論的および実験的研究-摩擦, 座屈, 飛び移り座屈 |
審査経過報告
本年度の領域11の若手奨励賞は、期日までに応募のあった4名の応募者から厳正な審査を経て、以下の3名に決定した。
選考には領域代表及び領域副代表に指名された広範なバックグラウンドを持つ9名から構成された審査委員会が当たり、そのうちの1名が審査委員長を務め、議事のとりまとめを行った。尚、応募者が出身研究室の学生であったり、現在所属する研究室に在籍するものであったり、共同研究を行った経験のある審査委員は、利害関係者と見做し、その応募者の選考には原則として加わらない事によって選考の公正化を図った。一次審査では、各応募者に3名の査読者を付け、応募者の提出論文について、本賞に相応しいものであるかを評価書及び評点付きで報告して貰った。二次審査では、一次審査の報告を踏まえて利害関係者を除く審査委員全員で、本賞に相応しいかどうかについて議論を行った。また審査に当たって応募者の詳細な貢献を知るために、その共同研究者に意見を伺う事もあった。その後、利害関係者を除く審査委員全員によって評点付きの評価を行い、基準を満たした応募者を受賞者として推薦した。
今回は、応募期間が比較的短く、更にこれまで認めて来た他薦を禁止して、自薦のみに限定した事もあり、応募者が4名と極めて少なかった。その影響もあって、受賞者が領域11に割り当てられた上限に満たなかったが、選ばれた受賞者の対象論文は何れも若手奨励賞に相応しい若々しいものであり、惜しくも選に漏れた応募者も含めて、今後の応募者の活躍と研究の進展が期待されるに足るものであった。今回に限らず過去も含めて選に漏れた応募者は、応募時点での評価と時間が経ってからの評価が異なり得る事やその後に新たな研究業績が加わる事も鑑みて、再応募を期待したい。また、シニアな研究者に対しても、若手研究者の優れた業績に着目し、積極的に該当者に応募を促すようにお願いしたい。領域11では若手研究者によって活発な研究がなされてきたため、若手奨励賞の過去の受賞者はそれに相応しい輝かしい活躍をしてきた。今後も、本賞が高い価値を保ち続けるには若手の積極的な応募が必要不可欠である。
尚、受賞理由で触れている論文は若手奨励賞の対象論文として公表されているものの中から、発行年が古い物から順に番号付けされている。
受賞理由
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岡田崇氏: 「化学反応ネットワークのトポロジーに基づく緩衝構造の発見と生体内ネットワークへの応用」
Discovery of the buffer structures of chemical-reaction networks based on their topology and applications to biological networks
生物の細胞内ではさまざまな酵素や化学物質が複雑な化学反応ネットワークを形成して外界の変動に応答している。その反応ネットワークに摂動を加えた時の応答を知る事は重要であるが、望月とFielderにより、定常状態における代謝分子の濃度や反応速度の摂動に対する反応ネットワークの応答が反応ネットワークの構造のみで決定されることが示されている。
これを受けて岡田氏は、ネットワークの経路と関与する物質数がある条件を満たす部分ネットワーク(緩衝構造)でのノックアウトの影響は緩衝構造内に留まること(限局則)を厳密に証明した。この理論では緩衝構造が化学反応のダイナミクスによらず、ネットワーク・トポロジーだけから見つけられるのが重要な点である。論文1では、この証明と、現実的なネットワークへの応用が議論されている。更に、論文2ではこの理論を保存量が存在するような化学反応ネットワークの問題に発展させた。また、現実のネットワークは緩衝構造を多く含み、それが機能単位と一致していることを明らかにした。この論文では、現実のネットワークが多くの緩衝構造を持つ理由として、これが生体に「頑健性」をもたらしているのではないかという仮説を提唱している。論文3では、外界の変化に対して化学反応ネットワークが異なる応答をする分岐の問題においても化学物質量変動の分岐を決定する重要な役割を担うことを明らかにし、ネットワーク・トポロジーだけから分岐構造が議論できることを提唱している。
これら三本の論文はすべて望月氏との共著(論文3はTsai氏との三人連名)であるが、緩衝構造の限局則、保存則がある場合への拡張、分岐解析の定理発見など基本原理はすべて岡田氏によって展開されたものと考えて差し支えない。また、現実系の解析への応用も岡田氏が行った。
本研究結果は生体化学反応ネットワークに対する基礎理論というだけでなく、今後現実のネットワークに関するデータの蓄積が進むとともに、バイオインフォマティクス的な解析に応用されていくことが期待できる。いわば、当該分野へ数理物理学が貢献できる一つの方向性を示したものであり、氏は物理学会若手奨励賞に相応しい。 -
江端宏之氏: 「生命・非生命系における自発的ダイナミックスの実験解析と現象論による解析」
Analysis of spontaneous motions of both biological and non-biological systems in terms of experiments and phenomenological theories
生物の記述に関して様々な物理的アプローチが可能であるが、その中で自己複製と走行性等の運動に限定すれば物理的手法によって生物を模倣する事が可能である。江端氏は、これらの問題に実験的に取り組むと同時に統一的視点から現象論を展開して、物理的に記述する事に成功した。
江端氏の論文1では、ポテトスターチ・サスペンションの加振実験を行い、形成されるホールの自己複製・消滅の時空パターンを可視化する事で自己複製的に増殖する事があることを発見し、またホールの生成・消滅過程のマスター方程式を書き下し、その定常解を解析的に求めて、ホールの数分布に関する実験結果を説明することに成功した。この成果はPhysical Review Lettersの表紙を飾る等、大きなインパクトを与えた。論文2では、シリコンオイル中の液滴が鉛直加振によって、その形状が非対称になり、その結果自発的に運動を開始することを実験的に発見した。また変形を現すパラメータと自己推進速度の連立方程式を導き、その方程式を解く事で実験結果を再現している。これら2つの論文は学生時代の指導教員との連名論文であるが、論文での成果のほぼ全ては江端氏によって得られたと考えて差し支えない。論文3はマウスの胎児皮膚から分離した培養細胞であるNIH3T3を使った実験と解析の論文であり、多くの共著者が居て江端氏の貢献がデータ解析を含めた理論解析に限定されている点が残り2つの論文と異なる。江端氏はここでも、現実の細胞の運動をイメージしつつ、2つの変形モードに着目し、緻密なモデル化を行い、その数値的解析から実際の細胞の運動を良く再現し、様々な実験データを定量的に再現する事に成功した。
以上のように江端氏は確かな技術に裏打ちされた緻密な解析に基づき、自己複製や走行性に関する生体模擬運動及び実際の細胞の運動に関して、統一的視点から物理的手法を用いて実験データの再現に成功している。江端氏の研究成果は、生物及びその模擬運動の現象論による記述のある種の完成形を示しており、氏は物理学会若手奨励賞に相応しい。 -
佐野友彦氏: 「構造物のしなやかさに関する理論的および実験的研究-摩擦, 座屈, 飛び移り座屈」
Theoretical and experimental studies on litheness of a structure -friction, buckling and snap-through buckling
薄い構造物の変形の際、座屈不安定性によって非熱的な転移現象が起きることは、18世紀半ばのオイラー座屈等の古典的な研究から良く知られている。しかし、過去の幾多の研究ででも一般には形状の解析的な決定が困難であり、現在においても経験的事実とメカニズムの理解に大きなギャップが存在する分野となっている。
こうしたバックグラウンドの中、佐野氏は論文1で、弾性板を基板に対して鉛直に押し付け座屈させる現象の研究を行い、摩擦のある基板上での座屈形態を統一的に記述することに成功した。この現象は摩擦と力学と幾何学が絡む最も基本的な現象であることから、物理学に留まらない広範な分野での基礎的成果として位置付けられる。論文2および論文3では、板が実現可能な座屈した状態間を遷移する「飛び移り座屈」のうち、それぞれ平面的なものと捻りを伴う3次元的なものの性質を実験、数値計算、新たな厳密解の導出を含む解析計算を用いて明らかにすることに成功した。特に論文2で得られた楕円積分を用いた厳密解と実験が高い精度で合うことも確かめるなど研究の完成度が高く、Phys. Rev. E誌のEditor’s suggestionに選ばれている。飛び移り座屈は植物の速い運動の素過程として近年特に着目されているが、これらの研究成果は、トポロジーが絡む新規なマテリアルデザイン、曲率や捻りを伴う生体内や生物の速い転移現象の理解する上で基本的な成果として位置付けられる。これら3つの論文は全て学振PDのアドバイザー教員との連名論文であり、実際に論文での研究成果は、論文1での実験を除き、理論および実験のほぼ全てにおいて、佐野氏が主導して得られたと考えて差し支えない。
以上のように佐野氏は座屈不安定性に対し、その現象の本質を抽出する境界条件を上手に選択することにより、また新たに厳密解を導出することにより、薄い構造物がしなやかに変形する際の不安定性を実験的にまたは理論的に明らかにした。彼の研究成果はこの分野での大きな一歩と考えられ、いずれも物理学のみならず構造力学や材料工学といった広範な力学分野における基礎的な成果として位置付けられるほど完成度が高い。よって、氏は物理学会若手奨励賞に相応しい。
授賞式
第74回年次大会において領域11の若手奨励賞授賞式が行われました。上記3名が受賞され、その受賞記念講演もあわせて行われました。
日本物理学会 領域11