第8回若手奨励賞(領域11)
受賞者の発表
2013年6月会告に従って、第8回若手奨励賞(領域11)の募集を行い、同年8月7日に締め切りました。申し合わせに従って設置された領域11の審査委員会による厳正な審査の結果、応募の中から下記の3名の候補者が選考され、同年10月の理事会で受賞者として承認されました。ここで、その受賞を祝福するとともに、領域11関係者に公示致します。なお、対象論文などの情報については、物理学会の若手賞のWebサイトをご覧ください。
受賞者 | 受賞題目 |
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秋元 琢磨氏(慶應義塾大学大学院理工学研究科) | 異常拡散過程におけるエルゴード性の弱い破れに関する理論的研究 |
今村 卓史氏(東京大学 先端科学技術研究センター) | 定常KPZ方程式の動的性質に関する厳密解の構成 |
杉浦 祥氏(東京大学大学院理学系研究科) | 量子力学的純粋状態を用いた平衡統計力学の定式化 |
森 貴司氏(東京大学大学院理学研究科物理学専攻) | 非局在モードに由来する長距離相互作用を持つ系の統計力学 |
審査経過報告
領域11における審査は、領域代表が指名した9名の審査委員により、メールを用いて行われた。 審査委員は、領域11が対象とする非常に幅広い分野をカバーするべく選ばれた研究者達である。 うち1名が審査委員長を務め(審査委員長については領域代表が指名)、選出の取りまとめに当たった。 本領域の若手奨励賞の応募は2013年8月7日に締め切られた。 審査手順は次の手順で行われた。 最初に各応募者に対して委員長が審査委員9名の中から指名したそれぞれ2名が査読者として原著論文を独立に査読し、その内容と評価に関して査読レポートを作成した。 この査読レポートは審査委員全員に配布された。 各審査委員は、各応募者毎2通の査読レポートを参考に、応募者全員の資料に基づいて候補者選定に当たった。 一定のメール討議期間を設けた後、最終的に、各審査委員が5�1点で応募者の点数評価を行い、その点数の合計点で上位4名の受賞候補者を決定した。 領域11の範囲は幅広く、その中には応募者が出ていない分野も見られる。 今後、より幅広い分野からさらに多数の応募があることを期待したい。
受賞理由
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秋元琢磨氏: 「異常拡散過程におけるエルゴード性の弱い破れに関する理論的研究」
集団平均と時間平均の一致を保証するエルゴード性は,力学系の物理的性質を論じる上で基本的な性質であるが,エルゴード性が成り立たない系における観測量の長時間平均値の性質についてはいまだ未知の部分が大きい. 秋元氏は,エルゴード性が成り立たない無限不変測度(全測度が発散)力学系について,一連の論文において,相関関数,平均二乗変位,平均速度の長時間平均値の確率分布や線形応答関係などの問題を理論的に調べている. 相関関数については,変形Bernoulli写像に関し,従来の Lamperti-Thaler の一般化逆正弦則を用いて,不変測度に関しある種の局所可積分関数を観測関数とするときの長時間平均の極限分布を求めたのち,それを利用して,相関関数の長時間平均がある値に収束するのではなくある一般化逆正弦分布に従うことを示した. また平均二乗変位については,遅い拡散を示す力学系を考察し,長時間平均値がある一般化逆正弦分布に従うことを示したのち,時間平均が時間に対して線形に増加し通常の拡散過程にように見えること,さらにその傾きから得られる拡散係数の分布がMittag-Leffler 分布に収束することを示している. 外場が印加された速い拡散過程においては,ドリフト速度の時間平均が従う非対称分布を明らかにするとともに,一般化されたEinsteinの関係(ドリフト速度が外場に対して分布として応答)を導いた。 これらの研究成果は,非エルゴード系における時間平均値について,その分布としての収束性に関して新しい結果を与えるものであり,理論的に興味あるだけでなく,生体における一分子計測などで観測されている物理量の大きなばらつきに関する理論的理解を提供している点でも高く評価される. 以上のように秋元氏の業績は,非エルゴード系の時間平均の性質の理解に大きく寄与するもので若手賞にふさわしいと判断される。
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今村卓史氏: 「定常KPZ方程式の動的性質に関する厳密解の構成」
Kardar-Parisi-Zhang(KPZ)方程式は界面成長の記述を目的として1986年に導入された非線形確率偏微分方程式である。 動的くりこみ群により、界面ゆらぎの臨界指数が解析的に得られ、KPZ普遍クラスと呼ばれる界面成長に現れる普遍性の確立に決定的な寄与を果たした。 加えて、バーガーズ乱流、ランダムポテンシャル中の方向性のあるポリマーなど統計物理学のさまざまな問題と関係することも後年判明し、今日では非平衡現象を広く記述する基礎方程式の一つとして特別な地位を占めている。
2000年以降この分野の研究は、特に数理物理学的方法にもとづいて大きく進展している。 空間1次元のKPZ普遍クラスに属する可解離散確率過程模型(多核成長模型、非対称排他過程)の研究が進み、高さ、カレント等の物理量の期待値、分散だけでなく、分布関数そのものの厳密解が得られ、ランダム行列理論の最大固有値分布(Tracy-Widom分布)と一致することが明らかになった。 これらは高度に数理的な結果であるが、2010年に竹内・佐野が液晶乱流を用いた実験で主要な理論的予想を確認した。さらに同年、笹本・Spohnにより特殊な初期条件の下でKPZ方程式そのものの厳密解が得られ、長時間極限でTracy-Widom分布に収束することが明らかになった。 つまり、「KPZ方程式はKPZ普遍クラスに属する」ことが分布関数のレベルで数学的に厳密に示されたのである。
こうした背景の下、今村氏は、KPZ方程式の定常状態における高さ分布の厳密解を初めて得た。 さらにそれを用いて高さの時空間2点相関関数の厳密解を数値的な評価が容易な形で与えた。 この2点相関関数は種々の統計物理学的特性に関わる重要な量であり、KPZ方程式に限ってもくりこみ群やモード結合理論等による計算が試みられている。 特に非摂動くりこみ群やゆらぐ流体力学(Fluctuating hydrodynamics)等の非平衡ゆらぎに関する新しい手法が最近活発に研究されているが、時空間定常2点相関関数は常に中心的な役割を果たしている。 今回の厳密解の構成は、KPZ方程式という非線形かつ非平衡な系において2点関数の詳細な性質が明らかになったという意味で極めて大きなインパクトがある。
以上のことから、今村氏の業績は日本物理学会若手奨励賞にふさわしい非常に優れた成果であると考えられる。 -
杉浦祥氏: 「量子力学的純粋状態を用いた平衡統計力学の定式化」
マクロな量子系においては、たった一つの純粋状態が熱平衡状態の性質を完全に表現しうると信じられている。 しかも、そのような状態は特別なものではなく、(エネルギーがある範囲内に入るという制約のもとで)「典型的」な純粋状態を一つ選んでくれば、その状態が平衡状態を表現するとされる。 近年、そのような「平衡状態を表現する純粋状態」を足がかりにして、平衡統計力学の基礎や、量子系の時間発展を見直そうという気運が高まっている。
杉浦氏は、清水明氏との共同研究で、一般的な多体量子系において、「平衡状態を表現する純粋状態」を具体的に構成する方法を提案し、量子スピン系などの系で実際に数値計算しうることを示した。 カゴメ格子上のハイゼンベルク反強磁性への応用例は、杉浦氏の構成法が数値計算手法としても有望な可能性を示唆している。 従来、「平衡状態を表現する純粋状態」については、抽象的な存在証明か、そうでなければ、可解模型における構成が与えられることがほとんどだったが、今回の構成法によって、この概念は遙かに具体的なものになった。
さらに、杉浦氏は「平衡状態を表現する純粋状態」を出発点にして、エントロピーや温度といった純粋に熱力学的な量をも計算できることを示している。 また、純粋状態として、ミクロカノニカル分布に対応するもの、カノニカル分布に対応するものを構成している。 これらの考察は、単なる計算手法にとどまらず、平衡統計力学の定式化そのものに新しい視点を提供することになるかもしれない。
杉浦氏の結果は、「平衡状態を表現する純粋状態」という概念を軸にした研究の流れを新しい段階に押し上げる可能性をもっており、内外の研究者から注目を集めている。 若手賞の対象にふさわしい、ユニークで優れた研究成果である。 -
森貴司氏: 「非局在モードに由来する長距離相互作用を持つ系の統計力学」
分子間の相互作用が遠方には及ばない近接である問題に対しては、熱統計力学は有効な体系であり、全体の枠組みから多様な手法まで整備されている。 3次元系の場合、近接相互作用とは、相互作用ポテンシャル関数が分子間の距離の(-2)乗よりも速く減衰するものである。 一方、遠方との相互作用が無視できない長距離相互作用系に対する統計力学の有効性は重要な懸案であり、長年に渡り研究が続けられてきた。 系を均一等方的に大きくする極限をとる熱力学極限の存在や、巨視的な系は体積に比例した自由エネルギーをもつとする加法性は熱統計力学により熱力学を再現するために必要な性質であるが、長距離相互作用系ではこうした基本的な要請まで、その妥当性や存在が怪しくなる。 さて、相互作用ポテンシャルが距離の逆数に従ってゆっくりと減衰する重力多体系や非中性プラズマは長距離相互作用系の典型であるが、系内に広がっている非局在モードを介して相互作用する系も重要である。 非局在モードとは、光や弾性波のように系全体に広がって存在している力学自由度で、個々の分子はこの非局在モードとの相互作用を介して遠方の分子と相互作用をしていると見做しうるものである。 森氏はこうした非局在モードによる長距離相互作用系のふるまいが平均場モデルによって記述されることを証明した。 この結果は直感的には予想されていたことではあるが、厳密な証明を与えたことの意義は非常に大きい。 また、熱平衡状態の安定性や非加法性など興味深い諸性質も明らかとした。 この研究成果は、新しい実験系やデバイスの開発にもつながるものと考えられ、単に数理科学上の業績に留まらない重要な成果と高く評価される。 森氏はさらに、べき型や指数型の相互作用を持つ系の極限として現れる長距離相互作用系でも野心的な研究を精力的に進めており、今後の発展にも大いに期待される。
授賞式
第69回年次大会において領域11の若手奨励賞授賞式が行われました。 今回は秋元 琢磨氏(慶應義塾大学大学院理工学研究科)、今村 卓史氏(東京大学 先端科学技術研究センター)、杉浦 祥氏(東京大学大学院理学系研究科)、森 貴司氏(東京大学大学院理学研究科物理学専攻)の 4名が受賞され、その受賞講演もあわせて行われました。
第8回若手奨励賞(領域11)受賞者の皆さん
秋元 琢磨氏(慶應義塾大学大学院理工学研究科)
今村 卓史氏(東京大学 先端科学技術研究センター)
杉浦 祥氏(東京大学大学院理学系研究科)
森 貴司氏(東京大学大学院理学研究科物理学専攻)
日本物理学会 領域11