若手奨励賞
日本物理学会では、将来の物理学をになう優秀な若手研究者の研究を奨励し、 日本物理学会をより活性化するために若手奨励賞を設けています。第19回日本物理学会若手奨励賞受賞者(領域11)
受賞者の発表
2024年6月の会告にしたがって,第19回日本物理学会若手奨励賞(領域11)の募集を行い,同年7月22日に締切りました.若手奨励賞領域11内規にしたがって設置された領域11の審査委員会による厳正な審査の結果,応募者の中から下記の3名の候補者が選考され,同年10月の物理学会理事会で受賞者として承認されました.ここでその受賞を祝福するとともに,領域11関係者に公示いたします.なお,対象論文などの情報については, 物理学会の若手賞のWebサイトをご覧ください.
受賞者 | 受賞題目 |
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板尾 健司 (理化学研究所 脳神経科学研究センター) | 普遍人類学の構築を目指した人間社会の多様な構造の生成原理の研究 |
中野 晃佑 (国立研究開発法人 物質・材料研究機構, マテリアル基盤研究センター) | 第一原理量子モンテカルロ法における原子に働く力の計算手法開発 |
別府 航早 (Department of Applied Physics, School of Science, Aalto University) | 遊泳バクテリア集団が示すアクティブ乱流の形成と制御の研究 |
審査経過報告
本年度の領域11若手奨励賞は、2024年7月22日の締切までに応募のあった9名の候補者について厳正な審査を行い、3名への授賞を決定した。審査は、領域代表が指名した9名の審査委員によって行われた。審査委員は領域11が対象とする広範な分野をカバーするべく、異なる専門を持つ研究者から選出されている。うち1名が審査委員長を務め、審査の取りまとめに当たった。審査手順は以下の通りである。まず各候補者について、共同研究や過去の指導教員など関わりが深い委員を「関係者」と定義し、委員長の求めに応じて参考情報を述べる以外は、当該候補の審査に加わらないこととした。審査は二段階で行った。まず一次審査では各候補者について、審査委員長が指名した 3名が審査対象論文を審査し、業績の独創性や候補者の貢献度を勘案して絶対評価による採点を行い、査読レポートを作成した。一次審査の査読レポートおよび採点の集計結果はあらかじめ審査員全員が閲読した上で、二次審査をオンライン会議で行った。二次審査においては、各候補者に関する担当審査員3名が意見を述べた後で、閲読結果の内容について審議を行った。その議論に基づいて採点結果を再度検討し、全審査員の合議により受賞者を決定した。
本年度は3名の候補者を決定したが、今回、受賞に至らなかった候補者の研究の中には高いレベルのものも含まれており、今後の展開に強い期待が審査員から寄せられている。来年度も、新規だけでなく再応募も含めた多くの方からの応募と推薦を期待する。
受賞理由
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板尾 健司:普遍人類学の構築を目指した人間社会の多様な構造の生成原理の研究
Principles of the Emergence of Diverse Human Social Structures: Toward the Construction of Universal Anthropology小規模な人間社会における親族構造や、人口が増えた社会で現れる格差や階層などの構造は、文化人類学や歴史学をはじめ人文社会科学の中心的テーマである。しかし、それらの構造がいかに生成されるかという原理の理解は、従来の現象記述的研究だけでは困難であった。板尾氏は、文化人類学の知見に立脚した人間同士のミクロ相互作用の数理モデルを構築し、進化シミュレーションによってマクロな構造の自発的生成を再現することによって、社会構造の生成原理を普遍的な視座から考察した。親族構造の生成に対しては、婚姻に関する相互作用として、各個人の文化的形質と配偶者への選好に応じた協力と競合、そして世代交代時の形質と選好の継承と変異を取り入れた進化モデルを導入し、血縁集団内の婚姻の禁止をはじめとする多様な親族構造の自発的生成を再現した。進化シミュレーションの結果は民族誌データベースの解析結果と整合しており、婚姻のミクロ相互作用からマクロな親族構造の生成メカニズムとその多様性を説明する。また、贈与と返礼の相互作用によって社会関係と地位の変化を生むモデルを提案して、贈与の規模と頻度の増大とともに社会における富と名声の分布が定性的に変化し、部族、首長制社会、そして王国へ変遷する、という社会の進化の一側面を再現した。これらの研究では、モデルに含まれる少数のパラメータから、社会構造生成に重要なスケーリング変数を同定した。さらに、近代化過程の農村家族形態の進化を、子供の間の遺産分配規則などをモデル化することによって説明できることを、最近の研究で示している。これらは、社会構造の生成や進化における普遍性を統計物理学の考え方によって理解しようとする野心的で意欲的な研究であり、若手奨励賞に相応しい。
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中野 晃佑:第一原理量子モンテカルロ法における原子に働く力の計算手法開発
Development of a computational scheme for forces acting on atoms using first-principles quantum Monte Carlo method第一原理計算は電子論に基づいて物質を非経験的に記述する方法の総称であり、量子多体論の発展を背景として計算手法やソフトウェアの開発が続けられてきた。代表的な第一原理計算手法である密度汎関数理論では、電子間相互作用の効果を記述する交換相関項の実用的な近似が知られており、精度と計算量のバランスの取れた方法として広範な物質群に適用されている。ただし、標準的に用いられる近似は、強相関電子系などに対して定性的にも不十分であることが知られている。それ以外の系に対しても参照となる高精度計算手法に対する需要は大きい。量子モンテカルロ法は高精度な方法として知られているが、計算量が大きいことや計算可能な物理量が限られていることが欠点である。とりわけ、原子に働く力を計算する信頼できる方法が確立していない。この問題は物質の構造や安定性を議論する上で大きな障害となり、量子モンテカルロ法の適用範囲の拡大を長年妨げてきた。中野氏は、この問題に対する解決策を提示し、現実の物質に対する適用を通してその有効性を示した。問題の本質は、全エネルギーの原子座標微分である力の評価において、統計サンプリングに起因した誤差が大きく、統計推定量の分散が発散することであった。中野氏は複数の方法を併用してこの問題を解決した。まず、線形従属な基底関数に対する前処理を行うことで統計誤差を低減し、その応用としてダイヤモンド結晶の正確なフォノン分散を求めることに成功した。また、重点サンプリング法の工夫により統計誤差を小さくした。さらに、波動関数の一部のパラメータが変分条件を満たしていないことが、全エネルギーの微分と力が一致しない原因であることを見出した。その対応策として、ジェミナル型多体波動関数のゲージ不変性を利用した方法を提案し、孤立分子と結晶に適用して有効性を立証した。これらの手法は国際的な協力のもとに開発されているオープンソースコードに実装されている。対象とする物質系を選ばない汎用的な方法であり、今後、多くのユーザーに利用されることが期待される。以上の成果は計算物質科学の基盤技術における大きな進展であり、若手奨励賞に相応しい。
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別府 航早:遊泳バクテリア集団が示すアクティブ乱流の形成と制御の研究
Study on the formation of active turbulence and its control in swimming bacterial populations鳥や魚、バクテリアのようにエネルギーを消費しながら自発的に動く物質群(アクティブマター)は、相互作用によって群れなどの集団運動を示す。その中でも、鏡映対称性の自発的破れによって生じる不規則な渦状の流れであるアクティブ乱流は、その非自明かつ普遍的な構造により注目を集めてきた。アクティブ乱流の制御は、有限領域への閉じ込めや外場印可によって原理的には可能であるが、実験例は数少なく、アクティブ乱流の発生機構の検証や、新奇なメゾスコピック構造の探索が課題となっていた。別府氏はバクテリア懸濁液を用いて、閉じ込めによる幾何学的制御と外場制御の両面で独創的な実験を展開し、上記の課題の解決に大きく貢献した。幾何学的制御については、複数の円を組み合わせた形状の容器(マイクロウェル)を用いて、渦の回転方向のペアリング状態を制御することに成功した。特に、隣接する2つの渦が同じ向きに回転する強磁性渦と、逆向きに回転する反強磁性渦の間の転移を見出し、その幾何学的な解釈を与えた。これは、バクテリア集団が境界との相互作用によって生み出すエッジカレントを定量的に特徴付けたインパクトの大きい研究成果である。さらに別府氏は非対称な上下境界壁を持つ容器を用いて、バクテリアに内在する微視的なキラリティーを巨視的な対称性の破れに変換し、キラルな秩序渦を実現した。外場制御に関しては、磁性流体にバクテリアを入れて磁場を印可するという巧妙な手法でバクテリア集団の巨視的な方向秩序(ネマティック秩序)を実現した。さらに、秩序状態における配向うねりモードを観測することで、アクティブ乱流の発生原因となる流体力学的不安定性を定量的に検証することに成功した。これらは、アクティブ乱流のフレキシブルな制御を実現し、アクティブマター物理の深化に貢献する重要な業績であり、若手奨励賞に相応しい。
授賞式
2025年春季大会において領域11の若手奨励賞授賞式・受賞記念講演が実地開催される予定です.
日本物理学会 領域11