第9回若手奨励賞(領域11)
受賞者の発表
2014年6月会告に従って、第9回若手奨励賞(領域11)の募集を行い、同年8月7日に締め切りました。申し合わせに従って設置された領域11の審査委員会による厳正な審査の結果、応募の中から下記の4名の候補者が選考され、同年10月の理事会で受賞者として承認されました。ここで、その受賞を祝福するとともに、領域11関係者に公示致します。なお、対象論文などの情報については、物理学会の若手賞のWebサイトをご覧ください。
受賞者 | 受賞題目 |
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泉田 勇輝氏(お茶の水女子大学 理学部) | 熱機関の最大仕事条件下での効率限界の研究 |
田中 宗氏(京都大学基礎物理学研究所) | 二次元量子多体系におけるエンタングルメントの研究 |
根本 孝裕氏(京都大学大学院理学研究科) | 定常確率過程に対する大偏差関数の“測定と操作”に基づいた評価法の開発 |
前多 裕介氏(京都大学白眉センター) | 温度勾配濃度勾配の共存下での生体高分子の分離現象の発見および制御法の開拓 |
審査経過報告
領域11における審査は、領域代表が指名した9名の審査委員により、メールを用いて行われた。 審査委員は、領域11が対象とする非常に幅広い分野をカバーするべく選ばれた研究者達である。 うち1名が審査委員長を務め(審査委員長については領域代表が指名)、選出の取りまとめに当たった。 本領域の若手奨励賞の応募は2014年8月7日に延期の後、締め切られた。 審査手順は次の手順で行われた。 最初に各応募者に対して委員長が審査委員9名の中から指名したそれぞれ2名が査読者として原著論文を独立に査読し、その内容と評価に関して査読レポートを作成した。 この査読レポートは審査委員全員に配布された。 各審査委員は、応募者毎2通の査読レポートを参考に、応募者全員の資料に基づいて候補者選定に当たった。 一定のメール討議期間を設けた後、最終的に、各審査委員が5~1点で応募者の点数評価を行い、その点数の合計点で上位4名の受賞候補者を決定した。 領域11の範囲は幅広く、その中には応募者が出ていない分野も見られる。 今後、より幅広い分野からさらに多数の応募があることを期待したい。
受賞理由
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泉田勇輝氏: 「熱機関の最大仕事条件下での効率限界の研究」
熱機関の効率に関しては,可逆熱機関に関するカルノー効率の式が最も基礎的でありかつよく知られているが,現実の熱機関の効率に関しては,多くの場合,かなり粗い上限値を与えるに過ぎない.これに対して,現実的な状況により近い準可逆過程,すなわち,熱輸送のみに非可逆性を仮定し,それ以外は理想的であるとする仮定のもとでは,より実測値に近い効率上限の評価がなされている.これは,Chambadal,Novikov,Curzon,AhlbornによりCN 効率として知られているものであり,熱機関の時間あたりの仕事を最大化する条件のもとでの効率限界を与えるものである.
泉田勇輝氏は,奥田浩司氏との共同研究において,2次元剛体円盤系の分子動力学シミュレーションを例にとり,カルノーエンジンの有限時間不可逆運転シミュレーションを行い,これによって実際にこの系の熱機関としての効率を調べた.その結果,両熱源の温度差が0の極限でのみ効率がCN 効率に漸近することを明らかにした.
両氏は,さらに一歩進んで,温度差が0の極限すなわち出力がゼロの極限でなぜCN限界効率が実現されるかを説明することにも成功している.これは,Van den Broeckの仕事を利用した研究成果である.Van den Broeckは,CN効率を Onsager 関係式に基づいて一般的に示すことに成功し,とくに上限達成はOnsager 係数行列の行列式が0である場合(tight-coupling条件)であることを示していたが,これを受けて泉田・奥田両氏はOnsager 係数をカルノーエンジンについて気体分子運動論から導き,tight-coupling 条件が成立していることを確かめた.
さらに彼らは,線形不可逆熱力学の一般論から tight-coupling 条件のもとでは,最大効率がカルノー効率の半分になることを証明することにも成功している.一連の仕事を通じて,泉田氏は奥田氏とともに,数値的,解析的手法の両方により不可逆的に動作する熱機関の効率を議論し,最大効率に関して有用な知見を得た.とくに最大仕事時の効率上限は,熱源の種類や熱容量に依存しない普遍的な結果であり特筆に値する.受賞対象となった仕事はすべて奥田氏との共同研究であるが,計算と解析,さらに本質的なアイデアの面でも主要な貢献をしている.
以上のことから,泉田勇輝氏の業績は日本物理学会若手奨励賞にふさわしい非常に優れた成果であると考えられる. -
田中宗氏: 「二次元量子多体系におけるエンタングルメントの研究」
近年,量子多体系における二つの巨視的な領域のあいだのエンタングルメント(量子的絡み合い)の性質から量子状態に関する本質的な情報が得られることが明らかになり,統計物理学,固体物理学,量子情報,高エネルギー物理学など広い分野で活発な研究が進められている.様々な非自明な量子状態においてエンタングルメントを特徴づけるエンタングルメント・エントロピーが計算されているが,解析的にアプローチしやすい一次元系とは異なり二次元量子系では必ずしも信頼に足る結果が得られているとは限らない.
田中氏らは,一連の論文で,二次元量子多体系における VBS (valence-bond solid)状態および量子格子気体模型の基底状態について,エンタングルメントの詳細な解析をおこなった.特に,単にエンタングルメント・エントロピーを求めるだけではなく,エンタングルメント・スペクトルという量を分析することで,エンタングルメントを生み出している機構にまで踏み込んでいる.その際,二つの領域の境界に出現する実効的な一次元スピン系が本質的な役割を果たすことを見出し,この実効的なスピン系の低エネルギーの性質をも明らかにしている.量子格子気体模型に対応する一次元スピン系は(中心電荷c<1 のミニマル模型になるという意味で)共形場の理論の観点からも興味深い. これら一連の結果は,単に量子多体系におけるエンタングルメントの信頼に足る計算結果というだけでなく,量子多体系でエンタングルメントが生じる機構,あるいは,量子系のバルクな状態と境界の実効的な理論の対応関係といったより普遍的な物理について考えていくための足がかりにもなると期待される.
VBS 状態のエンタングルメントを研究するにあたって,田中氏らは,非自明な解析的な考察を徹底的に進めた上で,「紙と鉛筆」ではそれ以上手が出なくなった段階で,大規模な数値計算を用いて最終的な結果を導いている.これによって,解析的考察では手が届かず,また,数値計算だけでは求めることができない詳細な結果が得られたことは特筆に値する.
今回の受賞対象となった研究には外国人研究者を含む多くの研究者が参加しているが,田中氏は,それらの研究者を束ね,研究をリードする中心的な役割と担ったと考えられる.
以上のことから,田中宗氏の業績は日本物理学会若手奨励賞にふさわしい非常に優れた成果であると考えられる.
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根本孝裕氏: 「定常確率過程に対する大偏差関数の“測定と操作”に基づいた評価法の開発」
平衡系における熱力学ポテンシャルは,それ自体が自由エネルギーやエントロピーなど状態量としての意味を持つだけでなく,その一階微分によって他のすべての状態量を,更に二階微分によってその揺らぎまでをも決定する.この特筆すべき構造は,示量性を有する物理量は大偏差統計にしたがい,熱力学ポテンシャルはそれを特徴づけるキュムラント母関数の役割を果たす,ことの帰結として統計力学の立場から理解される.残念ながら,非平衡系では平衡系に現れるこうした構造は失われる.しかしながら,平衡系における熱力学と統計力学との関係を参考にすれば,非平衡系においてもキュムラント母関数を構成することで平衡系の熱力学と同様の構造が得られるかもしれない.根本氏は,こうした動機から,定常確率過程を対象として長時間平均量の大偏差統計に関する一般論を発展させた.
鍵となったアイデアは測定と操作である.一般に,着目した物理量に関するキュムラント母関数が得られれば,そのルジャンドル変換によって稀な事象の発生確率を表す大偏差関数を評価することができる.平衡系では,熱容量や圧縮率といった状態量から熱力学ポテンシャル(=キュムラント母関数)を求めることが標準的であるが,根本氏は,計算機の利用を前提として,着目した物理量に関する大量の測定データからキュムラント母関数を直接評価する方法を導入した.ただし,残念ながら,この方法だけでは稀な事象からの寄与を十分精度よく取り込むことができない.根本氏は更に大偏差関数に関して成立する変分原理の物理的解釈を詳細に吟味することにより,測定結果に依存した外力を操作的に系に加えることで稀な事象を高頻度で発生させ,キュムラント母関数を精度よく評価する方法を与えた.類似のアイデアは,マルコフ連鎖モンテカルロ法における低頻度サンプルの発生法として提案されていたが,これを現実の実験系に対するプロトコルとして具体化した点に高い独創性が認められる.現時点では,数値実験での有効性の確認に留まっているが,実験系への操作法は一般的であり,今後,非平衡系の実験研究への波及が大いに期待される.
以上のことから,根本孝裕氏の業績は日本物理学会若手奨励賞にふさわしい非常に優れた成果であると考えられる. -
前多裕介氏: 「温度勾配濃度勾配の共存下での生体高分子の分離現象の発見および制御法の開拓」
温度勾配や濃度勾配の下で分子が輸送される輸送現象や複数の勾配が結合して起る非平衡クロス効果は,非平衡統計力学の基本的研究課題の1つである.前多氏は,温度勾配の下でのDNAやRNAなどの生体分子の非平衡輸送に関して,レーザー照射や蛍光測定,マイクロ流路技術などの現代的な方法を導入することにより実験的に調べ,ある種の高分子溶液中ではDNAやRNAが通常とは異なり,温度勾配に逆らって輸送され集積し,分子の長さの違いで分離される現象を発見し,さらにこれらの分離現象を非平衡クロス効果の概念を用いて現象論的に説明することに成功した.
具体的には,中心対称な温度勾配の下の高分子(PEG)溶液の中,様々なサイズのDNA,RNAが,どのような定常密度分布を呈するかを高度な制御をともなう実験系で計測し,PEG濃度,およびDNAのサイズに応じて,全く異なった定常分布が実現することを確認した.とくに,一定濃度以上のPEG溶液中において,一定サイズ以下のDNA,RNAが,Ludwig-Soret 効果とは逆に,温度の高い中心スポット(もしくは中心スポットの周辺の環状域)に集積することは新しい発見であり,上記濃度とサイズを調整し,集積域を制御し,リング状分布や,さらに2次元空間での複雑な分布を人工的に実現させることも可能となることを示した.
前多氏は,さらに,これらの現象が,Ludwig-Soret 効果とDiffusiophoresis(拡散泳動)のバランスによって実現されるという仮説から現象論的な輸送式を提案し,その輸送式により,広いパラメータ範囲,および実験設定条件にわたり,実験で得られた定常分布を説明することに成功した.
微小領域でのDNA ,RNAのダイナミクスや分布の理解と制御は,最近のエピジェネティクスでも大きな関心の的である.上記の一連の業績は,生命の科学と物理学の距離を,これまで以上に近接させる意義深い仕事であり,さらに,現象をよく表現する簡単な非平衡輸送式の提案は,理論研究者による,システムのよりミクロな理解への挑戦を喚起させる優れた題材ともなる.
以上のことから,前多祐介氏の業績は日本物理学会若手奨励賞にふさわしい非常に優れた成果であると考えられる.
授賞式
第70回年次大会において領域11の若手奨励賞授賞式が行われました。 今回は泉田 勇輝氏(お茶の水女子大学 理学部)、田中 宗氏(京都大学基礎物理学研究所)、根本 孝裕氏(京都大学大学院理学研究科)、前多 裕介氏(京都大学白眉センター)の 4名が受賞され、その受賞講演もあわせて行われました。
第9回若手奨励賞(領域11)受賞者の皆さん
集合写真
泉田 勇輝氏(お茶の水女子大学 理学部)
田中 宗氏(京都大学基礎物理学研究所)
根本 孝裕氏(京都大学大学院理学研究科)
前多 裕介氏(京都大学白眉センター)
日本物理学会 領域11