若手奨励賞
日本物理学会では、将来の物理学をになう優秀な若手研究者の研究を奨励し、 日本物理学会をより活性化するために若手奨励賞を設けています。第18回日本物理学会若手奨励賞受賞者(領域11)
受賞者の発表
2023年6月の会告にしたがって,第18回日本物理学会若手奨励賞(領域11)の募集を行い,同年7月24日に締切りました.若手奨励賞領域11内規にしたがって設置された領域11の審査委員会による厳正な審査の結果,応募者の中から下記の3名の候補者が選考され,同年10月の物理学会理事会で受賞者として承認されました.ここでその受賞を祝福するとともに,領域11関係者に公示いたします.なお,対象論文などの情報については, 物理学会の若手賞のWebサイトをご覧ください.
受賞者 | 受賞題目 |
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田島 裕康 (電気通信大学大学院情報理工学研究科) | 量子ゲートおよび量子熱機関に対するコヒーレンスの影響の研究 |
西川 宜彦 (北里大学理学部) | 大規模数値シミュレーションによるガラスの静的・動的性質の研究 |
山岸 純平 (東京大学大学院総合文化研究科) | 細胞内代謝系が示す摂動応答の理論研究 |
審査経過報告
本年度の領域11若手奨励賞は、2023年7月24日の締切までに応募のあった7名の候補者について厳正な審査を行い、3名への授賞を決定した。審査は、領域代表が指名した9名の審査委員によって行われた。審査委員は領域11が対象とする広範な分野をカバーするべく、異なる専門を持つ研究者から選出されている。うち1名が審査委員長を務め、審査の取りまとめに当たった。審査手順は以下の通りである。まず各候補者について、共同研究や過去の指導教員など関わりが深い委員を「関係者」と定義し、委員長の求めに応じて参考情報を述べる以外は、当該候補の審査に加わらないこととした。審査は二段階で行った。まず一次審査では各候補者について、審査委員長が指名した 3名が審査対象論文を審査し、業績の独創性や候補者の貢献度を勘案して絶対評価による採点を行い、査読レポートを作成した。一次審査の査読レポートおよび採点の集計結果はあらかじめ審査員全員が閲読した上で、二次審査をオンライン会議で行った。二次審査においては、各候補者に関する担当審査員3名が意見を述べた後で、閲読結果の内容について審議を行った。その議論に基づいて採点結果を再度検討し、全審査員の合議により受賞者を決定した。 本年度は3名の候補者を決定したが、今回、受賞に至らなかった候補者の研究の中には高いレベルのものも含まれており、今後の展開に強い期待が審査員から寄せられている。来年度も、新規だけでなく再応募も含めた多くの方からの応募と推薦を期待する。
受賞理由
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田島 裕康:量子ゲートおよび量子熱機関に対するコヒーレンスの影響の研究
Study of the effect of coherence on quantum gates and quantum engines量子力学において、保存量の存在下では量子測定の精度に制約が生じることは1950 年代から指摘され、Wigner-Araki-Yanase(WAY)定理として知られていた。その精密化・定量化の研究もなされてきたものの、測定に限らない一般のユニタリ変換に対応する量子ゲートの実装精度については明らかになっていなかった。田島氏はこの問題を解決し、保存量の存在下でのユニタリゲートの実装精度の普遍的な制約を明らかにした。とくに、実装誤差の下限が保存量のゆらぎに反比例すること、あるいはより精密には量子ゆらぎ(コヒーレンス)によって決まることを明らかにした。そこから、ユニタリゲートの実装に必要な量子コヒーレンスの漸近的な最小十分量を明らかにした。これは量子情報理論のテクニックの面から見ても高度であり、高い意義のある結果であると言える。また、上記とはやや異なる話題として、有限パワーでカルノー効率を達成する熱機関を作ることが出来るかどうかという、熱力学において本質的な問題がある。熱力学不確定性関係(thermodynamic uncertainty relation)と呼ばれる関係式により、古典確率過程ではこれは不可能であることが示されている。田島氏は、熱力学不確定性関係を量子的な場合に拡張することで、巨大な縮退が存在しそこに量子コヒーレンスがある場合には、ある意味においては有限パワーとカルノー効率が両立可能であることを示した。より正確には、熱機関のサイズに関するパワーと効率のスケーリングが、古典的な場合に比べて真に改善することを示した。以上はいずれも量子情報および量子熱力学の基礎に光を当てる重要な結果であり、田島氏は若手奨励賞に相応しい。
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西川 宜彦:大規模数値シミュレーションによるガラスの静的・動的性質の研究
Studies on static and dynamic properties of structural glasses based on large scale numerical simulations熱力学的なガラス転移の有無は物理学における重要な未解決問題の一つと考えられており、多くの研究者がチャレンジしてきた。近年になってようやく平均場理論が確立できたことからしても、この問題がいかに難題であるかがわかる。平均場理論は熱力学的なガラス転移が十分高次元では確かに存在することを示したが、現実の有限次元での熱力学的ガラス転移の有無は今なお未解決問題である。西川氏はこの問題にチャレンジするために、新たな3次元有効格子ガラス模型を提案し、その動的性質、静的性質について大規模かつ系統的な数値シミュレーションに基づく解析を行った。これは格子模型ではあるが巧みにデザインされた模型であり、低温極限まで結晶化せず過冷却液体にとどまることのできるパラメータ領域が存在する。それだけでなく、動的不均一性や、自己相関関数の2段階緩和Vogel-Fulcher-Tammann (VFT) 則に従う緩和時間の温度依存性など、ガラス化する過冷却液体に見られる重要な性質を持っていることが示された。さらに、この模型はスワップモンテカルロ法、Wang-Landau法またレプリカ交換モンテカルロ法などの強力なシミュレーション手法を複数組み合わせて用いることができ、通常はアクセスすることが困難な低温での熱力学的な性質を解析できる。西川氏はこの特徴を活かして大規模なモンテカルロシミュレーションを行い、レプリカ対称性の破れを伴う熱力学的なガラス転移がこの系に存在することを強く示唆する結果を得た。その一方で、西川氏はあえて熱力学的な異常がないことが確実なMari-Kurchan模型を選んでそのダイナミクスを詳しく調べ、VFT則や動的不均一性が見られることを明らかにした。したがって、「ガラス的」なダイナミクスのいくつかの特徴が必ずしも熱力学的なガラス転移を意味するわけではないことを明らかにした。西川氏はこのように難問とされる有限次元におけるガラス転移の有無、およびそのメカニズムに迫る研究を精力的かつ多角的に展開し、重要な貢献を行っている。よって西川氏は物理学会若手奨励賞に相応しい。
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山岸 純平:細胞内代謝系が示す摂動応答の理論研究
Linear response theory of metabolic systems from microeconomic perspective生命の代謝系は、栄養をエネルギー等に変換する過程であり、生命の物理化学的基盤となっている。代謝系の振舞いの予測については、細胞や構成分子の詳細なパラメータに強く依存する研究ばかりで、普遍的な理論は無かった。そこで山岸氏は、生物進化を通じて細胞の成長速度を最大化するように振る舞うことと、消費者は効用を最大化するように振る舞うというミクロ経済学の理論との間に、数理的な対応関係が成り立つことに着目した。ミクロ経済学におけるSlutsky方程式を用いて、「栄養(=所得)への摂動に対する代謝経路の応答」と「代謝経路を阻害する薬剤の投与(=価格上昇)に対する代謝応答」との間に非自明な線形応答関係式を解析的に導出した。線形応答関係式は、大腸菌の代謝反応ネットワークの数値計算でも成立し、質量保存則という物理化学的な制約の帰結として任意の代謝系において成り立つことを明らかにした。山岸氏は、上記の対応関係に基づき、代謝系とミクロ経済学の両分野において反直観的で長年の謎とされてきた「非効率な嫌気性呼吸を酸素存在下で行う代謝系の振舞い」と「値段が上がる財を欲する消費者の振舞い」の間に同一の最適化構造を発見した。両者の振舞いに共通する出現条件として、2つの代謝物(あるいは財)の間にトレードオフ関係かつ補完性を見出した。これらの成果は、個々の代謝系の詳細な情報なしに、ある反応の栄養応答の測定結果から直ちにその反応の薬剤応答を定量的に予言できる。細胞の代謝状態を望ましい方向へ制御・操作するための定量的および定性的な指針としても有用であり、基礎生物学はもとより、医学、薬学、農学、バイオ工学に貢献しうる。さらに、代謝物が細胞外に漏れ出る量と、それによる細胞の成長率変化の間に一般的な等式を、代謝反応ネットワークモデルから解析的に導出した。この等式の数値計算の結果、漏出が成長率をむしろ高めることが普遍的に生じること、および、それを実現する2つの基本メカニズムを実験的検証可能な形で示した。生命の代謝系への環境変動や操作に対する応答について、普遍的な予測手法とそれを理解する枠組みを包括的に提示する非常に優れた業績であり、若手奨励賞にふさわしい。
授賞式
2024年春季大会において領域11の若手奨励賞授賞式・受賞記念講演が実地開催される予定です.
日本物理学会 領域11